菅野秀浩のちょっといい話

第51話 「安楽死」を是認するのかIV

 「死」の決定は個人の意志によると明言したが、個人が自ら死を求めたら、医師は意志を尊重して、実行するのだろうか?  そんなに軽い判断をする医師は、勿論絶対にいるはずはないが、医師と患者の基本的な相互理解『インフォームド・ […]

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執筆年
2000-2002
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生と死
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第52話 黒白二鼠の譬え

 仏教は凡夫を、どう捉えるのか?  茫々として、見渡す限り何一つない荒野を、疲れた空腹の旅人がさ迷い歩き続ける。すると突如どこから現れたか、群れを離れ凶暴と化した巨像が、旅人を見つけ、襲いかかる。  旅人は荒野を逃げに逃 […]

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2000-2002
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仏教用語昔話・民話
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第53話 黒白二鼠の譬えII

 前回「白黒二鼠の譬え」の解説を加えたい。 先ず茫々とした荒野は、「人生の荒波」。 巨像は「不可抗力な自然の力」。 迷える旅人は「凡夫(人間)」、井戸穴は「安住の場所、幸せな家庭生活」。 藤蔓は「生命の糸(余命)」、大蛇 […]

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2000-2002
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仏教用語昔話・民話
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第54話 真言宗

 殆どの方が「真言宗」は、弘法大師空海が開かれたと理解されているならば喜ばしい事だが、義務教育では宗教教育を避けてとおる為か、その教えも徹底はなく、「空海も最澄も知らない」という嘆かわしい結果で、お坊さんになるために、仏 […]

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2000-2002
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仏教用語弘法大師・空海
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第55話 真言宗II

 真言宗は「密教」である。  密教は、瓶に水を溢れるばかりに満たし、その水を一滴も余す事なく他の瓶に移すように法を伝える事を本義とする。  奥義や法則を、師から弟子へ余す事なく伝えることを相承(そうじょう)というが、真言 […]

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2000-2002
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仏教用語弘法大師・空海
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第56話 密教

 真言宗は密教であることは承知しているが、なぜ密教か、密教とは何かと問われると、にわかに説明できる者は極めて少ない。  教学的で申し訳ないが、仏教はこの世に実在されたシッダルダ(釈迦)がお悟りを開いて覚者となり釈尊と崇め […]

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2000-2002
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お釈迦様
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第57話 曼荼羅(マンダラ)

 便宜上カタカナでマンダラと表記する。  マンダラは、密教の中でも、殊に真言密教では重要な法具で、弘法大師も遣唐使として長安(西安市)で受法されて後、日本に帰国し、唐より持ち帰ったお経や密教法具を朝廷に報告する文「御請来 […]

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2000-2002
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仏教用語弘法大師・空海
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第58話 曼荼羅II

 マンダラは、密教辞典によると「輪円具足・極無比味・無過上味・聚集・発生・壇・道場」とされ、欠けることの無い、すべてに円満な成就された境地(輪円具足)をいい、或いは五味(乳・酪・生酥・熟酥・醍醐)の内の醍醐で、比較する味 […]

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2000-2002
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仏教用語弘法大師・空海
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第59話 成仏への道

 先ず「真言宗」「密教」「曼荼羅」と三つ並べたのは、真言宗の特色というか教義の要点を、理解して戴きたいからである。  また「顕教」という表記があるが、これは密教(日本では真言宗・天台宗)以外の宗派や教義を指す言葉だが、「 […]

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2000-2002
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仏教用語
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第60話 成仏への道II

 私たちは、全く自覚は無いが、本来誰でも仏に成る資質というか、まだ磨かれない原石と云えばよいか、仏の核或いは種子が備わっていて、凡夫であるために気が付かずにいるだけである。だから自覚さえすれば、成仏することは可能である。 […]

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2000-2002
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第61話 成仏への道III

 密教おける成仏とは、「身・口・意」が如何に研ぎ澄まされて『密』となりえるか、一途にここに拘わってくる。  この「身・口・意」の三つは、身体の働き、言葉の働き、心の働きをいうが、この三つの働きの範囲は我々の生活の全てと云 […]

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2000-2002
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第62話 成仏への道IV

 真言密教では、「身・口・意」の三業をいかに研ぎ澄ませて「三密」と成りえて、成仏に至るのか。いまだ菩薩として目覚めぬ者は、いかにして「速疾」に悟りに至るのか。  その秘訣は、自分の心を知ることだと、明解する。  即ち真言 […]

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第63話 成仏への道V

 真実の自身の心を知る「如実知自心」を体解し、「速疾」に成仏するには、「身・口・意」の三業を研ぎ澄まし、「三密」に浄化する努力をしなければならない。  そこで身体と言葉と心の働きを、自らよい方向へ導くために、普段から心掛 […]

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第64話 成仏への道VI

 真言密教における成仏は、「速疾」にあると再三述べたが、大乗仏教においては密教以外の諸教も本来仏の資質を内在している「本覚思想」に立脚するので、同じように速やかに成仏に至るはずであるが、至らないのは、何故なのだろうか。 […]

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2000-2002
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第65話 密教の仏[1] 不動明王

 密教の身近な13の仏(初7日から49日忌の七仏と百ヶ日忌から33回忌に至る六仏)を本や辞書の受け売りで紹介する。  因に、一般的に「ほとけ」と呼ばれるものには、「仏=如来」「菩薩」「天=毘沙門や帝釈など」や、仏弟子や祖 […]

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仏教用語不動明王
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第66話 密教の仏[1] 不動明王ii

 不動明王は、初七日忌の本尊さまである。亡くなった日を入れて、七日目に修する。  近年、何故か葬儀より大事で、当然の如く「住職、初七日は?」と、葬儀直後や葬儀中に修するように頼まれるが、当方が「?」である。  四十九日間 […]

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仏教用語不動明王
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第67話 密教の仏[2] 釈迦如来i

 仏教をお開きになられたゴータマ・シッダールタ、釈迦牟尼(釈迦族出身の聖者)、又は釈尊、仏陀と尊称され、説かれた法が経典となり、御身も釈迦如来として祀られ、聖地や誕生日、成道の日、入滅日も礼拝される。  始めは菩提樹や転 […]

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第68話 密教の仏[2] 釈迦如来ii

 釈迦如来は二七日忌(十四日目に修する)の本尊である。  金剛不壊(こんごうふえ)といわれ、ダイヤモンドのように堅固で崇高な誓願で、煩悩や迷いが襲っても、一切揺るがない、破壊されない精神を保ち続ける如来である。  二七日 […]

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第69話 密教の仏[3] 文殊菩薩i

 「文殊の智慧」の言葉が示すように、大乗仏教の代表的な般若経典では「むしろ仏に代わるほどさかんに活躍し、般若=智慧を完全にそなえて説法を行う」菩薩である。  文殊師利(もんじゅしり)といい、結集(経典の編集)にかかわり、 […]

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第70話 密教の仏[3] 文殊菩薩ii

 文殊菩薩は三七日忌の本尊である。  不動尊と釈迦如来により、魔障や煩悩を退けて、成仏を自覚し、更に正しい道の修行に導かれた精霊は、愈々仏としての智慧を修めるべく、文殊菩薩の道場に入ります。  文殊菩薩の陀羅尼(真言)の […]

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第71話 密教の仏[4] 普賢菩薩i

 普賢菩薩も文殊菩薩同様、釈迦如来の脇侍仏として釈迦三尊として祀られ、白象に乗る姿で表される場合が多い。  文殊菩薩は智慧、普賢菩薩はその智慧の実践、修行を促し、成仏へ導く。  良く知られる「華厳経」は、この世の全ての凡 […]

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第72話 密教の仏[4] 普賢菩薩ii

 普賢菩薩は、四七日忌(亡くなって二十八日目に修する)の本尊である。  精霊は、先に釈迦如来によって、正しい修行の道を示され、文殊菩薩の道場に入り、成仏に至る知慧を学び、愈々名前の示すように、普く賢い(全ての徳と吉祥を具 […]

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2000-2002
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第73話 密教の仏[5] 地蔵菩薩i

 地蔵菩薩ほど、伝来(奈良時代)以来、延命、子育てなど、様々に呼称され、社会や大衆に支えられ続けている仏はいまい。  もともと菩薩なので菩薩界に住する仏であるが、釈尊入滅後、次の未来仏(弥勒菩薩)の成仏までの無仏の時(五 […]

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第74話 密教の仏[5] 地蔵菩薩ii

 地蔵菩薩は三十五日忌の本尊である。  地蔵菩薩は閻魔尊とも同体(本地垂迹説=仏が衆生救済に際し、先ず仮に神となって現れる事)で、インドにおいては地蔵菩薩(本地=ほんじ)だが中国・日本では閻魔王(垂迹=すいじゃく)として […]

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2000-2002
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第75話 密教の仏[6] 弥勒菩薩i

 弥勒菩薩の梵名マイトレーヤは「友愛」で、「慈から生まれた者」という意で、「慈氏」「慈尊」とも訳され、人天を問わず、全ての人々を慈悲心をもって救済するという誓願を持ち、インドを始め、中国でも、我が国に伝来されても、極めて […]

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2000-2002
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