菅野秀浩のちょっといい話

第76話 密教の仏[6] 弥勒菩薩ii

 弥勒菩薩は六七日忌の本尊である。  京都太秦の名刹広隆寺(国宝第一号)や、奈良斑鳩の里 中宮寺の弥勒菩薩は、そのお顔と頬にあてる細やかな指先、たおやかで類を見ない容姿の美しさに、信仰と美的価値を求めて、終日訪れる人が絶 […]

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2000-2002
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第77話 密教の仏[7] 薬師如来i

 薬師如来は、名前の通り人々の病気や苦悩を救済する仏で、原語の直訳は「薬・治療の医師」で、「薬師瑠璃光如来」「大医王仏」「医王善逝」とも呼ばれる。  阿弥陀仏の西方浄土(来世の世界)に対し、「東方の瑠璃光浄土に住して、衆 […]

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2000-2002
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第78話 密教の仏[7] 薬師如来ii

 四十九日忌は、薬師如来を本尊として修す。  盡七日忌は、「立ち日」或いは「家の棟を離れる」といい、仏界への旅立ちを表す。又、薬師経の昼夜四十九編の読誦は、大病も克服する事から四十九日の本尊の説もある。  精霊は初七日よ […]

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2000-2002
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第79話 密教の仏[8] 観音菩薩i

 仏像も、広く成仏を希う仏、慕われる仏、誰でも知っている仏、頼られる仏等様々だが、観音様ほど篤く信仰をあつめる仏はない。  名前はサンスクリット原典により、「観自在菩薩(世界を自在に観察する)」といい、入竺沙門の訳者の鳩 […]

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2000-2002
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第80話 密教の仏[8] 観音菩薩ii

 観世音菩薩は、百ヶ日忌の本尊である。  百ヶ日忌は、卒哭忌(そっこくき)といわれ、涙の乾く日という意味で、故人への想いや嘆きや慟哭も、重ねる日々が癒してくれて、胸の内に深く沈んでいくからであろう。  何故百日目に修すの […]

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2000-2002
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第81話 密教の仏[9] 勢至菩薩i

 勢至菩薩は、通常では計りきれない大きな功徳を表す「得大(とくだい)勢至菩薩」といわれ、大勢志・大精進とも呼ばれる。  名前の如く、得大な智慧の勢いをもって、直路(真っすぐな路)を示して、極楽浄土へ至らしめるという徳目を […]

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第82話 密教の仏[9] 勢至菩薩ii

 一周忌は、大勢至菩薩を本尊として修す。  前項で述べたように、阿弥陀如来の脇侍仏として、観世音菩薩と共に極楽浄土への往生を促すことを徳目とする。ちなみに観世音菩薩は百ヶ日忌の本尊であり、慈母として慕われ、四十九日忌に仏 […]

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第83話 密教の仏[10] 阿弥陀如来i

 阿弥陀如来ほど、一般社会に認知され、成仏への手立てとして頼られる仏はあるまい。  「南無阿弥陀仏」の唱名も「ナンマンダブ」が「ナマンダブ」に短縮され、浄土教等の宗派色や阿弥陀仏が本尊でなくとも、全国規模でこだわり無く唱 […]

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第84話 密教の仏[10] 阿弥陀如来ii

 阿弥陀如来は、三回忌(亡くなった年を入れて数える。満二年)の本尊である。  全ての仏教徒なら等しく願う、極楽浄土へ成仏する日である。過ぎる月日は早く、月を重ねて二十四回、日を積んで七百余日、花を手向け香を焚いても、精霊 […]

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第85話 密教の仏[11] 阿閦如来i

 阿閦(あしゅく)如来には、悟りを得るための発心が極めて強く、戒を律する事も堅く、何時も心が乱れ揺れることが無い事から不動・無動如来とも呼ばれたり、或いは、絶対に怒りの心を起こさないという義の無瞋恚(むしんに)如来という […]

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第86話 密教の仏[11] 阿閦如来ii

 仏教においては、何人も極楽へ往生することを願うわけであるが、既に三回忌には阿弥陀仏のもとへ赴き、大願を果たしているのに、何故七回忌を迎え、さらに追善を重ねるのか、疑問を持つ方も多いと思う。  実は、釈尊を本仏として成仏 […]

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第87話 密教の仏[12] 大日如来i

 大日如来は、真言密教の絶対本尊で、いわゆる仏陀(法身)である。梵名を摩訶毘盧遮那如来といい、遍照如来(大いなる智慧と光明であまねく世を照らし、救いたもう仏)と訳され、宇宙そのものというか、全てを抱合する真理を具現する教 […]

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第88話 密教の仏[12] 大日如来ii

 精霊去って既に壱拾三年、馨音絶えて茲に四千余日を重ねた十三回忌(満十二年)は、金剛界大日如来を本尊として修す。  密教辞典に頼るので、難しくなって恐縮だが、金剛界大日如来は、密教の根本経典である「金剛頂経(金剛頂一切如 […]

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2000-2002
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第89話 密教の仏[12] 大日如来iii

 十七回忌は、十三仏の追善供養の法要には含まれないが、金剛界大日と共に両部として、極めて重要な本尊である胎蔵界大日如来を本仏として営まれるので、ここに記す。  胎蔵大日(本来「界」は付けない)は、大日経(大毘盧遮那成仏神 […]

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第90話 密教の仏[13] 虚空蔵菩薩i

 愈々十三の「密教の仏」も、最後の虚空蔵菩薩を説くに至った。深遠な世界を、巧く伝達できたかが心配であるが、祖先から自分への尊い命の受け継ぎを感謝し、先亡諸精霊への追善供養に実践して戴ければ幸いである。  扠て虚空蔵菩薩は […]

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第91話 密教の仏[13] 虚空蔵菩薩ii

 虚空蔵菩薩は、三十三回忌の本尊である。三十三回忌は、俗に「留め」の法事とも言われ、虚空菩薩より上主の菩薩がいないことから、残された者の最後の勤めで、総てを立派に供養し尽くした意味からか、地方によっては半ばおめでたい法要 […]

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第92話 密教の色彩I

 仏教のもつ色調は、本来は彩色豊かで、金色や銀色に輝く美しい世界を持つ。  殊に密教(真言宗)は、宇宙のあるがままを素直に肯定するため、極彩色の世界にその教えをあますことなく包み込み(様々な色彩も全て仏慧=教えとして肯定 […]

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第93話 密教の色彩II

 密教の真理の教えは、「大日如来」によって八十億の菩薩に説かれ、その教えを受けて展開する代表の仏が、金胎四仏(※括弧は胎蔵)で「阿閦如来(宝憧如来)、宝生如来(開敷華王如来)、阿彌陀如来(無量壽如来)、不空成就如来(天鼓 […]

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お釈迦様仏教用語
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第94話 現代葬儀事情I

 多分反論もあろうと思うが、葬儀についての事情を申し述べる。  今世紀の半ばには、3人に1人は65才以上という。ということは、廻り中(私を含めて)年寄りだらけ、どんなに長生きしたって、極近にはみぃ~んな彼方へ逝くわけで、 […]

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仏教用語葬儀社会問題
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第95話 現代葬儀事情II

 現代の社会問題の要因は、全てとは言えないが、かなりの比重で本来の姿が「見えなくなった」ことにあると思っている。  葬儀もそうで、「葬式仏教」という嘲笑も含めた、問題視される昨今のお寺を取り巻く風評も、葬儀の正しい姿が「 […]

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社会問題仏教用語葬儀
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第96話 現代葬儀事情III

 葬儀に、ご馳走を振舞うようになったのは、いつ頃からだろう。多分、住宅事情が変わって、一戸建てのマイホームを持てるようになった頃で、個人尊重(プライバシー)を理由に、家族も自分一人の部屋を持つ事が、当たり前になった時代で […]

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仏教用語葬儀社会問題
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第97話 現代葬儀事情IV

 親族や同朋や近隣が、相互互助の分かち合いの精神で営まれていた祭事は、業者と呼ばれる商売の専門家によって運営されるようになり、本来の姿を見えなくするほどにその意識や形式は、過激に変化を遂げた。  元々業者は存在したが、彼 […]

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2000-2002
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社会問題仏教用語葬儀
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第98話 現代葬儀事情V

 科学や文明の発達は、生活や習慣をより良く変えたが、時には残酷な様も呈する。  臨終の有り様もそうで、死の瞬間は肉親や親族の励ましと慟哭の看取り場であったが、蘇生を重視する現代医学では、最後まで治療を施し、馬乗りになる人 […]

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2000-2002
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仏教用語葬儀社会問題
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第99話 神仏を崇めぬ者I

 現代の日本は、何処か変である。  それが此処だと具体的に指摘できないほど、社会の全ての分野に及び、畢竟民族性の主張の「あいまい」さにその因が伺える。  予てより、昭和20(1945)年8月15日が、日本人の心を失った日 […]

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2000-2002
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日本文化・伝統社会問題
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第100話 神仏を崇めぬ者II

 統計によると、無宗教と応える者が60%であるという。多分この答えの大半の者は、自らの宗教無知から自分は「無宗教主義者」と思い込んでいるに過ぎないと思う。  得てして、自称文化人に多く、宗教を持たないことが文化であると思 […]

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2000-2002
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道徳・信仰
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