仏教用語
第1話 念ずれば花開く
小さな小さなタネを蒔き、水をやり、肥料を施し、太陽の恵みに会うと、苗はスクスク成長し、やがてはきれいな花を咲かせ、素晴らしい果実を実らせる。どんなに高価な花のタネでも同じことで、蒔いて大切に育てれば愛情も湧き、育ててい […]
第2話 信なくんば立たず
子貢が政治の要諦をたずねると、孔子は、まず第一に、「食を足し」食生活の充実をはかってやること、次に、「兵を足し」軍備をととのえること、そして、「民これを信ず」民の信頼を得ること、と答えた。 子貢は、ではその三つのうち、止 […]
第3話 旅人の危機管理
一人の旅人が山道を歩いていると、ふと、うしろに異様な物音がする。ふり返ってみると大きな虎が追っかけてくる。 「こりゃ大変!」 と走り出した旅人は、 「あっ」 と息を呑んだ。前は絶壁だった。 「もはやこれまで!?」 と諦め […]
第4話 無きには如かず
「好事も無きには如かず」 好事とは読んで字のとおり、よいこと、結構なこと、めでたいことであり、これは誰もが望むところのものである。その好事も、 「無きには如かず」 すなはち、 「有るよりはむしろ無い方がましだ」 とはい […]
第5話 きこりとさとり
お釈迦さまの時代、インドの先進的な都市ヴェーサーリーに維摩という大富豪が住んでいた。彼は学識すぐれた在家信者であったが、大乗仏教の代表的な経典『維摩経』の主人公としても有名である。 ある時、光厳童子(童子とは修行者、また […]
第7話 保険と観音さま
「福聚海無量(ふくじゅかいむりょう)」 これは『観音経』の末尾に出てくる言葉である。 「福聚」は福の集まること、それが海のように広大で洋々として、しかも無量であるというのであって、これは観音さまの徳を讃えた言葉であ […]
第8話 水を掬し花を弄する
私たち人間の意識は、眼で物を見、耳で声を聞き、鼻で嗅ぎ、舌で味わい、体で触れるというふうに、五官の窓をとおして物事を分別している。このはたらきを総括して「見るもの」といい、「主観」といい、また「自」などといい、その対象 […]
第14話 地底から湧出せる菩薩たち
昨年(平成7年)は乙亥、五黄土星中宮の年で、昔からこの年には震災や動乱、戦争などが起こるといわれている。思えば関東大震災(大正12年)も同じ年まわりである。 1月17日の阪神大震災では6308人(平成8年12月27日 […]
第15話 立処皆真なり
情報化社会といわれて年すでに久しく、私たちは必要度をはるかに超えた大量の情報の消費を強いられている。あわせて社会の高速化現象が進み、周囲は実に目まぐるしく移り変わってゆく。 ところが、人間は知性的な存在であるだけに、過 […]
第16話 お茶をどうぞ
「喫茶去」(きっさこ)という言葉があります。 「去」は助字で別に意味はないので、「お茶を召しあがれ」という意味の言葉で、茶掛や色紙などによく書かれる有名な言葉ですが、実は「趙州喫茶去」といって、禅門ではやかましい公案(参 […]
第18話 冷暖は身体で覚える
文字や言語はたいへん便利なものだが、案外不完全で不便な一面もある。たとえば右はどちらか、左はどちらか、これは文字や言語で教えられたものではなく、身体で悟っていることなのである。 試みに辞書を開いて「右」の項を見ると、「 […]
第20話 六根清浄どっこいしょ
日本人は昔からきれい好きな、清潔を愛する国民で、その清潔感は道義感覚と表裏一体になっていた。 品位の高い人を「人格高潔」「きれいな人」「清潔な人」といい、その反対の人を「不潔」「きたない」「よごれている奴」などといった […]
第22話 とらわれない心
クルマの運転をなさるかたなら、どなたにも思い当ることだろうが、自動車学校に通いはじめた頃は、両手両足のそれぞれ違った動作がなかなか思うに任せない。 これはなぜかというと、心が一つ一つの動作にとらわれ、意識の切り換えが遅 […]
第23話 金的を射落とす力
現在地に移って来るまで、私は長いこと山形県の米どころ庄内平野にいた。 そんなわけで、時に農業関係の話を聞く機会があった。 下農は草をつくり、 中農は稲をつくり、 上農は田をつくる、 上上農は心をつくる […]
第26話 対人の四法
人びとをひきつけ、救うための四つの徳、行為を「四攝法(ししょうぼう)」という。 布施 物でも心でも施し与える。 愛語 やさしい言葉をかける。 利行 ためになることをする。 同事 心を一にして協調する。 […]
第33話 去年とや言はむ 今年とや言はむ
去年(1995年のこと)は中秋の名月が二度眺められた。八月に閨八月が続いたためであり、一年、十三ヵ月となったので、今年の旧の元日は大幅に遅れて二月十九日となった。立春は二月五日なので、旧年中に春を迎えるというわけである […]
第52話 三福田の教え
農夫が春、田圃に種子を蒔き、秋に収穫を得るように、徳を積んでその果報を受けることが人間にとって真の幸福である。 それにはどういう田圃に種子蒔きをすればよいか。 それが三福田の教えである。 第一は敬田(きょうでん)とい […]
第57話 恩讎の彼方に
九州・耶馬渓谷の鎖渡しの難所に、人馬の行き悩む様子を見た旅の僧禅海が、洞門の開削を発願し、村人の嘲笑をよそに、やわらかいとはいえ集魂岩に対し、27年もの間ノミをふるい、ついにその目的を達成した話は小説『恩讎の彼方に』で […]
第59話 宗教なき教育は賢い鬼をつくる
明治五年の学制発布以来、宗教は教育のラチ外に押しのけられ、爾来日本国民は公教育の場では無宗教教育に育てられた。 しかし教育の基盤に、宗教がいかに大切なものであるか、それはいみじくも聖徳太子が十七条憲法の第二条に明確に述 […]