仏教用語
第61話 成仏への道III
密教おける成仏とは、「身・口・意」が如何に研ぎ澄まされて『密』となりえるか、一途にここに拘わってくる。 この「身・口・意」の三つは、身体の働き、言葉の働き、心の働きをいうが、この三つの働きの範囲は我々の生活の全てと云 […]
第62話 成仏への道IV
真言密教では、「身・口・意」の三業をいかに研ぎ澄ませて「三密」と成りえて、成仏に至るのか。いまだ菩薩として目覚めぬ者は、いかにして「速疾」に悟りに至るのか。 その秘訣は、自分の心を知ることだと、明解する。 即ち真言 […]
第63話 成仏への道V
真実の自身の心を知る「如実知自心」を体解し、「速疾」に成仏するには、「身・口・意」の三業を研ぎ澄まし、「三密」に浄化する努力をしなければならない。 そこで身体と言葉と心の働きを、自らよい方向へ導くために、普段から心掛 […]
第64話 成仏への道VI
真言密教における成仏は、「速疾」にあると再三述べたが、大乗仏教においては密教以外の諸教も本来仏の資質を内在している「本覚思想」に立脚するので、同じように速やかに成仏に至るはずであるが、至らないのは、何故なのだろうか。 […]
第65話 密教の仏[1] 不動明王
密教の身近な13の仏(初7日から49日忌の七仏と百ヶ日忌から33回忌に至る六仏)を本や辞書の受け売りで紹介する。 因に、一般的に「ほとけ」と呼ばれるものには、「仏=如来」「菩薩」「天=毘沙門や帝釈など」や、仏弟子や祖 […]
第66話 密教の仏[1] 不動明王ii
不動明王は、初七日忌の本尊さまである。亡くなった日を入れて、七日目に修する。 近年、何故か葬儀より大事で、当然の如く「住職、初七日は?」と、葬儀直後や葬儀中に修するように頼まれるが、当方が「?」である。 四十九日間 […]
第67話 密教の仏[2] 釈迦如来i
仏教をお開きになられたゴータマ・シッダールタ、釈迦牟尼(釈迦族出身の聖者)、又は釈尊、仏陀と尊称され、説かれた法が経典となり、御身も釈迦如来として祀られ、聖地や誕生日、成道の日、入滅日も礼拝される。 始めは菩提樹や転 […]
第68話 密教の仏[2] 釈迦如来ii
釈迦如来は二七日忌(十四日目に修する)の本尊である。 金剛不壊(こんごうふえ)といわれ、ダイヤモンドのように堅固で崇高な誓願で、煩悩や迷いが襲っても、一切揺るがない、破壊されない精神を保ち続ける如来である。 二七日 […]
第69話 密教の仏[3] 文殊菩薩i
「文殊の智慧」の言葉が示すように、大乗仏教の代表的な般若経典では「むしろ仏に代わるほどさかんに活躍し、般若=智慧を完全にそなえて説法を行う」菩薩である。 文殊師利(もんじゅしり)といい、結集(経典の編集)にかかわり、 […]
第70話 密教の仏[3] 文殊菩薩ii
文殊菩薩は三七日忌の本尊である。 不動尊と釈迦如来により、魔障や煩悩を退けて、成仏を自覚し、更に正しい道の修行に導かれた精霊は、愈々仏としての智慧を修めるべく、文殊菩薩の道場に入ります。 文殊菩薩の陀羅尼(真言)の […]
第71話 密教の仏[4] 普賢菩薩i
普賢菩薩も文殊菩薩同様、釈迦如来の脇侍仏として釈迦三尊として祀られ、白象に乗る姿で表される場合が多い。 文殊菩薩は智慧、普賢菩薩はその智慧の実践、修行を促し、成仏へ導く。 良く知られる「華厳経」は、この世の全ての凡 […]
第72話 密教の仏[4] 普賢菩薩ii
普賢菩薩は、四七日忌(亡くなって二十八日目に修する)の本尊である。 精霊は、先に釈迦如来によって、正しい修行の道を示され、文殊菩薩の道場に入り、成仏に至る知慧を学び、愈々名前の示すように、普く賢い(全ての徳と吉祥を具 […]
第73話 密教の仏[5] 地蔵菩薩i
地蔵菩薩ほど、伝来(奈良時代)以来、延命、子育てなど、様々に呼称され、社会や大衆に支えられ続けている仏はいまい。 もともと菩薩なので菩薩界に住する仏であるが、釈尊入滅後、次の未来仏(弥勒菩薩)の成仏までの無仏の時(五 […]
第74話 密教の仏[5] 地蔵菩薩ii
地蔵菩薩は三十五日忌の本尊である。 地蔵菩薩は閻魔尊とも同体(本地垂迹説=仏が衆生救済に際し、先ず仮に神となって現れる事)で、インドにおいては地蔵菩薩(本地=ほんじ)だが中国・日本では閻魔王(垂迹=すいじゃく)として […]
第75話 密教の仏[6] 弥勒菩薩i
弥勒菩薩の梵名マイトレーヤは「友愛」で、「慈から生まれた者」という意で、「慈氏」「慈尊」とも訳され、人天を問わず、全ての人々を慈悲心をもって救済するという誓願を持ち、インドを始め、中国でも、我が国に伝来されても、極めて […]
第76話 密教の仏[6] 弥勒菩薩ii
弥勒菩薩は六七日忌の本尊である。 京都太秦の名刹広隆寺(国宝第一号)や、奈良斑鳩の里 中宮寺の弥勒菩薩は、そのお顔と頬にあてる細やかな指先、たおやかで類を見ない容姿の美しさに、信仰と美的価値を求めて、終日訪れる人が絶 […]
第77話 密教の仏[7] 薬師如来i
薬師如来は、名前の通り人々の病気や苦悩を救済する仏で、原語の直訳は「薬・治療の医師」で、「薬師瑠璃光如来」「大医王仏」「医王善逝」とも呼ばれる。 阿弥陀仏の西方浄土(来世の世界)に対し、「東方の瑠璃光浄土に住して、衆 […]
第78話 密教の仏[7] 薬師如来ii
四十九日忌は、薬師如来を本尊として修す。 盡七日忌は、「立ち日」或いは「家の棟を離れる」といい、仏界への旅立ちを表す。又、薬師経の昼夜四十九編の読誦は、大病も克服する事から四十九日の本尊の説もある。 精霊は初七日よ […]
第79話 密教の仏[8] 観音菩薩i
仏像も、広く成仏を希う仏、慕われる仏、誰でも知っている仏、頼られる仏等様々だが、観音様ほど篤く信仰をあつめる仏はない。 名前はサンスクリット原典により、「観自在菩薩(世界を自在に観察する)」といい、入竺沙門の訳者の鳩 […]
第80話 密教の仏[8] 観音菩薩ii
観世音菩薩は、百ヶ日忌の本尊である。 百ヶ日忌は、卒哭忌(そっこくき)といわれ、涙の乾く日という意味で、故人への想いや嘆きや慟哭も、重ねる日々が癒してくれて、胸の内に深く沈んでいくからであろう。 何故百日目に修すの […]
第81話 密教の仏[9] 勢至菩薩i
勢至菩薩は、通常では計りきれない大きな功徳を表す「得大(とくだい)勢至菩薩」といわれ、大勢志・大精進とも呼ばれる。 名前の如く、得大な智慧の勢いをもって、直路(真っすぐな路)を示して、極楽浄土へ至らしめるという徳目を […]
第82話 密教の仏[9] 勢至菩薩ii
一周忌は、大勢至菩薩を本尊として修す。 前項で述べたように、阿弥陀如来の脇侍仏として、観世音菩薩と共に極楽浄土への往生を促すことを徳目とする。ちなみに観世音菩薩は百ヶ日忌の本尊であり、慈母として慕われ、四十九日忌に仏 […]
第83話 密教の仏[10] 阿弥陀如来i
阿弥陀如来ほど、一般社会に認知され、成仏への手立てとして頼られる仏はあるまい。 「南無阿弥陀仏」の唱名も「ナンマンダブ」が「ナマンダブ」に短縮され、浄土教等の宗派色や阿弥陀仏が本尊でなくとも、全国規模でこだわり無く唱 […]
第84話 密教の仏[10] 阿弥陀如来ii
阿弥陀如来は、三回忌(亡くなった年を入れて数える。満二年)の本尊である。 全ての仏教徒なら等しく願う、極楽浄土へ成仏する日である。過ぎる月日は早く、月を重ねて二十四回、日を積んで七百余日、花を手向け香を焚いても、精霊 […]
第85話 密教の仏[11] 阿閦如来i
阿閦(あしゅく)如来には、悟りを得るための発心が極めて強く、戒を律する事も堅く、何時も心が乱れ揺れることが無い事から不動・無動如来とも呼ばれたり、或いは、絶対に怒りの心を起こさないという義の無瞋恚(むしんに)如来という […]