動物愛護
第62話 慈悲なきに似たれども
平安中期の天台宗の高僧源信は比叡山の彗心院に住んでいたので彗心僧都といわれた。 或る日、寺の境内に一頭の鹿が迷い込んできた。 それを見た彗心僧都は、「あそこに鹿が入ってきた。早く追い出せ!」と、言葉荒々しく弟子たちを […]
第1話 「母なるもの」とのふれあい-矢ガモはなにを教えたか-
背中に矢を打ち込まれたカモのニュースを日本中の人々が心を痛めてテレビでみた。人間のあまりにも心ないふるまいによく耐えて、あちこち、とびあるくカモの姿は、まことに見るに忍びなく、ひたすら無事を祈ったことだった。 それにし […]
第4話 人間、動物、植物、みな生命
通行量の多い国道や県道などで、車にはねられた犬や猫の痛ましい姿をよく見かける。こんな時世の中で、近ごろ、中日新聞に心温まる動物愛護の話が出ていて感動した。 愛知県豊川市の国道一号線で、ニホン鹿をはねてしまった会社員は […]
第40話 生命は決して「モノ」ではない
アメリカでヒヒから肝臓移植を受けた男性患者が手術後71日目に死亡したという出来事があった。私共仏教徒にとって、これはきわめて不愉快なニュースであり、やり切れなさを痛感させられた。 まず第一に、仏教の教えるところは、人 […]
第94話 僕がヒーローだった頃の「敵」
小学生のころ、戦隊もののヒーローになるのが得意だった。敵はブラック××やダーク△△だ。一人で悪役のセリフまでこなしながら、他の人には見えないであろう宿敵と立ち向かい、見事に戦い、そして勝利したものだ(あたりまえだ。負け […]
第103話 天井の穴
猛暑の昨年8月のことだった。本堂へ行くと頭上の天井裏から、カチャ、カチャと不安げな足音と、ピィ、ピィと泣く(「鳴く」ではない。それほど悲痛にひびいていた)声がした。本堂の屋根の隙間から鳩が出入りしていることは知っていた […]
第105話 ケンタは食べられない
第103話からの続きです。まずそちらをお読みください。 両面テープがないことに気づいた時、私のココアと小麦粉をまぶしたような顔。充血した目。汗の重みで垂れ下がったTシャツ。右手は木槌を離しても握った形のままだった。 […]