昔話・民話
第81話 ラクダの分配
アラビアの昔話。 年老いたアラブ人が死ぬ前、三人の息子を枕もとに呼び寄せ、「わしが死んだらラクダをお前たちにやるが、長男は1/2、二男は1/3、末っ児は1/9だ」といいました。ところがラクダの数は十七頭だったので三人 […]
第86話 相続や大難
私どもの周囲には、才能のあるにまかせて、あれもやり、これもやりして生命力を分散し、結局は虻蜂とらずの一生を終わる人が少なくなりません。 逆に、たとえ才能には恵まれていなくとも、自らの能力に応じた守備範囲を堅く守って、一 […]
第87話 人間万事塞翁が馬
私どもの周囲には、才能のあるにまかせて、あれもやり、これもやりして生命力を分散し、結局は虻蜂とらずの一生を終わる人が少なくなりません。 逆に、たとえ才能には恵まれていなくとも、自らの能力に応じた守備範囲を堅く守って、一つ […]
第88話 6/7の功徳
今年は午歳(※注)、十二支でいえば第七位、月に配すると五月、時刻では正午、方位では真南、五行では火、動物では馬ということでこの配分のすがたをみると、元気いっぱいの様が連想される。 今年は元気はつらつの年でありたいもので […]
第89話 子供は見ている
『鳩翁道話』にこんな話があります。 昔、ある家に目の見えない姑さんがおりました。嫁さんはひどく邪険に扱って、姑がごはんをこぼすからといってうす汚い木の空箱になんでも放り込んで食べさせておりました。ところが或る日、子供た […]
第91話 南無あぶ陀仏
今から二百年ほど前、風外本高という風変りな坊さんがいた。 この和尚の絵がまた素晴らしく蛸風外といって世に珍重されている。 大阪、円通院に住持していた頃の話。 この寺は破れ放題に破れた荒れ寺だったが、風外は一向頓着もな […]
第7話 ありがたきかな、この命
昔の道話(人間の生きる道を教える話)の中に、“栗の食べ方”というのがある。 ここに十個の栗がある。この栗をおいしく食べるには、最初に一番おいしそうな栗を食べる。次に九個のうちで一番おいしそうな栗を食べる。次に八個のう […]
第14話 小さな善事にも至大の価値がある
仏教では、どんなにそれが“小さくても善い行い”というものには、至大(この上ない)の価値と意味があるものだと教える。一人の人を心から愛し得るものは、ただちに社会を人類を愛し得るものだと説く。これが仏教の説く大事な宗教的真 […]
第16話 欲望を越えて心の尊厳を
その昔、京都西の洞院に紀伊国屋という紙屋があった。主人は亦右衛門といった。大阪の本店から、百両の資本金を千両に殖やせという言い付けのもとに、日夜営業に肝胆を砕いた(工夫し、努力した)。 間もなく千両になったので、 「仰 […]
第19話 天下を持つ身に愉快はない
八代将軍徳川吉宗は、十五代中での名君といわれる人物であった。 ある夏の夕、大奥で尼さんが湯浴みをして、いい気持らしいのをみて、 「ご機嫌じゃのう」 と言った。 「はい、天下を取ったようないい心地にございます」 と言 […]
第26話 山川草木悉皆成仏
ある修行僧が草も木も成仏するという話を聞いて、どうしても理解できず、尊敬する学僧に、自分で考えたり修行したりすることのない草や木がどうして成仏するのでしょうかと尋ねた。 そのとき、学僧は、あなたは草木成仏のことを尋ね […]
第30話 智者は惑わず
近頃、若者の間にオカルト・ブームが再燃しているようだ。UFO・宇宙人を信じ、妖怪に魅力を覚え、予言や透視や超能力に興味を示す。正しい信仰や真実の仏法から言ってこれは好ましい傾向ではない。 戦国期の武将・加藤清正は正し […]
第33話 三つ子の魂百までも
年配のかたならば、あるいは覚えていらっしゃるかもしれない話があります。 それは、インドのラクノウというところで、昭和29年1月に発見されたオオカミ少年のことです。 当時これは世界中の話題になりました。 生肉しかたべな […]
第41話 心の眼をひらく修行
日本では、昔からいろいろな修行が行われてきた。修行の種類の多いのが、日本文化の特徴の一つであった。修行というのは、たとえば学校教育で学ぶ知識や学問をおさめるという、いわゆる知性にかかわることではなくて、知性のもうひとつ […]
第50話 「眼」からの超越
昔、反町無格という剣士がいました。 諸国武者修行の途次、とある山中を歩いていて、一本の丸太橋にさしかかりました。下を見るとまさに千扨の断崖、そして激流岩石、眼もくらむばかり。どうにも膝頭がガタガタ震えて渡れません。 「 […]
第54話 幸福には前にはなくいつも背後にある
昔、あるところに一本のローソクの灯があった。 それがある時、光というものは大変明るいものだと聞いた。「ああ、わしはその光なるものにめぐり逢いたい。わしの周囲はどちらを向いても闇ばかりだ」こういって、灯は光を探し求めて歩 […]
第65話 形より心へ
昔、ある孝行息子が、足腰の立たない父親を背負って、お殿様のお通りを拜ませていると、それがお目にとまって、 「感心な若者じゃ。褒美をつかわせ」 というので、沢山の頂戴物をした。 その話を聞いた親不幸で評判男、 「うまいこ […]
第52話 黒白二鼠の譬え
仏教は凡夫を、どう捉えるのか? 茫々として、見渡す限り何一つない荒野を、疲れた空腹の旅人がさ迷い歩き続ける。すると突如どこから現れたか、群れを離れ凶暴と化した巨像が、旅人を見つけ、襲いかかる。 旅人は荒野を逃げに逃 […]
第53話 黒白二鼠の譬えII
前回「白黒二鼠の譬え」の解説を加えたい。 先ず茫々とした荒野は、「人生の荒波」。 巨像は「不可抗力な自然の力」。 迷える旅人は「凡夫(人間)」、井戸穴は「安住の場所、幸せな家庭生活」。 藤蔓は「生命の糸(余命)」、大蛇 […]
第12話 一人前 ―子供が居ても居なくても―
好きな話にこういうのがあります。 社会学の学者、儒教の先生、和尚に質問をした。「母親と、自分の連れ合い(夫or妻)が溺れていたら、あなたはどちらから助けるか?」◇社会学の先生は「社会では家族が一番元の単位だから、連れ […]
第74話 皆に好かれる人よりも…
4月1日に、東京のお寺さんが経営している幼稚園、保育園の新任の先生たちの研修会で、講演と写仏実技の講師を勤めた。 写仏というのは、仏さまを和紙にトレースするひとつの修行だ。しっかりしたものを描こうとすれば、普通で2時 […]
第118話 ひたむき
伝え聞く所によると、今回のリクエスト「徳を積むって、どんな生き方?」をくれたsaichanは、大手CD制作会社にいたものの、無性に歩いて四国遍路がしたくなったらしい。そこでなんと、思い切って会社を辞めてしまい、遍路修行 […]
第129話 アブナイおばさんの装い
西国観音霊場第三十番の札所は、琵琶湖に浮かぶ竹生島の宝厳寺。ご住職の峰覚雄さんは、私のお友達。今回ご紹介するのは、彼から十年ほど前にきいた話です。 その年の春先のこと。彼はいつものように、船でやってくるお参りの方々を […]
第136話 どっちを選ぶ?
今回は、仏教を少し勉強した人なら知っている(?)こんな問題からスタートです。 <問>あなたの目の前で、奥さん(or旦那)と、自分の親(父or母)が溺れていたとします。あなたはどちらを先に助けますか? この問題に、社会 […]