生と死
第69話 落葉樹と常緑樹
古代エジプト人は、永遠の生命を希求し、不滅の棲家としてピラミッドを造った。その努力の並々ならぬこと、スケールの大きいことはおどろくばかりである。しかし、形のある限り、やがてはこわれゆくものである。 この点、対照的でま […]
第80話 いずれそのうち
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」 で、人生の無常迅速、人の命は草葉に宿る露にたとえられる。釈尊はじめ、高僧名僧が出家されたのはみな無常観がもとである。 人は無常観によってはじめて永遠を思慕する切なる要求を実感する […]
第20話 人間は死すべきものである
「人間は死すべきものである」「私は人間である」「それ故、私も死ななければならない」 この三段論法は昔から言いふるされてきた。しかも、現代においても、それを動かすことのできない真理である。 ところが、人間が死ぬことを忘 […]
第23話 宗教者と長寿
最近、郡山女子大学の森一教授によって、たいへん興味深い発表がなされた。 それは職業別平均寿命表というのであって、十種類の職業についてその平均寿命を調査したところ、上位の職業は以下の通りである。 一位 宗教家 二位 […]
第24話 人には、さまざまな死のとらえ方がある
北里大学病院の坂上正道院長は、 「人には、さまざまな死のとらえ方がある」 といわれ、次のように、ある死の場面を語っておられる。 重度の奇形をもって生れてきた赤ちゃんが、生後間もなく息を引きとった。聴診器を当てる。す […]
第34話 “考える”ということ
人間には知性とか理性というものがあって、肉体や本能をその手綱のもとにコントロールするようになっています。動物はこの知性が全く発達しておりません。しかし、そのかわり、自然が与えた自動制御の習性があります。たとえば、狼など […]
第35話 冷静で秩序ある報道を
愛知県西尾市の中部中学2年の生徒がいじめを苦にして自殺した事件の後、全国各地で中学生、小学生の自殺が相次いだ。 事件に関する連日の報道が他の子供たちの自殺に何らかの影響を与えたのではないかと思われてならない。現にある専 […]
第36話 心と体はひとつのもの ─心身一如─
「病は気から」という古くからの言葉がある。普通は、単なるもののたとえとして、病人を勇気づける場合などに使われている。ところがこの言葉は、本来の意味で、実は今の新しい医学のひとつの見方でもある。 最近、ある新聞で高田明 […]
第38話 平均余命の計算法
自分の歳だとあと何年生きられるか? これは高齢者ならずとも、誰でも大なり小なり気になる事柄である。 大分医大公衆衛生医学教室の島岡章先生がこれについて、興味ある発表をされた。平均寿命というのは零歳児の平均余命、つまり […]
第40話 生命は決して「モノ」ではない
アメリカでヒヒから肝臓移植を受けた男性患者が手術後71日目に死亡したという出来事があった。私共仏教徒にとって、これはきわめて不愉快なニュースであり、やり切れなさを痛感させられた。 まず第一に、仏教の教えるところは、人 […]
第51話 ガン告知を考える
平成5年12月15日、テレビ司会者逸見政孝氏はガンとの壮絶な闘いに敗れて亡くなった。ガン闘病生活を宣言してから百日余、しかし現代医学にとって難病といわれるスキルスガンに克つことはできなかった。 逸見さんはガンの告知を受 […]
第55話 東海大学安楽死事件で問われるもの
神奈川県の東海大学医学部付属病院で昨年4月(※)、元内科助手の医師が、末期ガンの患者に薬物を注射し、安楽死させたとされる事件で横浜地検は去る7月2日、この医師を殺人罪で起訴した。安楽死問題で医師が起訴されたのは始めてで […]
第56話 いのちの重さを知らぬ若者
この頃の若者による暴力沙汰、ことに殺人事件の多いのには、心を暗くさせられます。青少年の死に対する感覚が、この頃明らかに変わってきているようです。殺人が多いと同じように自殺も増えています。他人の死について深く受けとめない […]
第58話 脳死は人間の死ではない
いま、国会へ臓器移植法案が提出されているが、この素案で脳死状態の人を「死体」とみていることに対しては、仏教者として反対である。 ひとたび法律が脳死状態の人を「死体」と規定してしまえば、ただでさえ「いのち」をモノと考えが […]
第60話 人の命は機械ではない
総理大臣の諮問機関として昨年発足した「脳死臨調」は精力的に実動しているもようでときどき新聞などにも動きが報道される。 近く、首相の答申が出されるとのことであるが、どのような内容であるのかわたくしどもは深い関心をもって […]
第61話 人間の臓器は単なる『物』ではない
いわゆる脳死状態の患者から、臓器を摘出して、他の患者に移植することを認める臓器移植法案が、議員立法として国会に提出されている。 仏教界からも各宗派の研究機関から見解表明が行われているが、おおむね、脳死による内臓移植に […]
第63話 脳死は果たして人の死なのか
脳死と臓器移植がいま、やかましく論議されている。脳死とは何かについては、すでに判定基準なるものが出て、はっきり医学的な見解が示されている。これはもっぱら医学の問題であるが、その脳死が本当に一人の人間の死であるかというこ […]
第64話 人は死すべきものである
末期患者の安楽死を合法化する「安楽死法」が米国オレゴン州で誕生したとの報道があった。すでに昨年、オランダでは安楽死が容認されており、無駄な延命治療を拒否して「死ぬ権利」を認める動きが世界的潮流となりつつある。 しかし […]
第68話 死とは生の終点ではない。いつも生と一緒。
アメリカの未来学者ハーマン・カーンは、「二十一世紀に最も求められる職種はフィロソファーである」と言いました。フィロソファーは日本では哲学者のことですが、アメリカではもっと軽く、「ものを考える人」又は、「ものを考えること […]
第80話 別れのときは必ずくる
人間が死ななければならないものである限り、死を忘れ過ぎた生活が人間に深い幸福をもたらすとは思われません。そこで、宗教的生き方というものが非常に重要になるのです。宗教的生き方の極意ともいえるものは、死と対面することによっ […]
第81話 仏の教は脳死をもって人の死と認めない
政府の「臨時脳死及び臓器移植調査会」は去る6月14日、中間意見をまとめてこれを発表した。様々な意見や論議が日に日に高まっているので、今回はこれを取り上げてみる。 中間意見の内容は、脳死を人の死とし、臓器移植を基本的に […]
第96話 老年期は人間形成が頂点である
敬老の日を前に、9月12日厚生省は平成元年の全国高齢者名簿(長寿者番付)を発表した。それによると9月30日までに百歳以上になる長寿者は、前年名簿より400人増えて、3078人(海外在留邦人を除く)となり、初めて3000 […]
第3話 二者択一
1997年(平成9年)7月に公布され、その年の10月16日に施行された「臓器の移植に関する法律」は、人間の死を法律で定めたことで多くの議論を呼び、現在も脳死の判定基準や、臓器の提供者本人の意思確認ということに、納得でき […]
第24話 死後の決定権
1992年、「サザエさん」で有名な漫画家長谷川町子さんが亡くなった時、個人の遺言で35日間公表を伏せたことが始めてのように記憶するが、その後有名な方では柴又の寅さんの渥美清さんが、1996年「死んだ顔を見せるな。家族で […]