禅語・禅問答
第4話 無きには如かず
「好事も無きには如かず」 好事とは読んで字のとおり、よいこと、結構なこと、めでたいことであり、これは誰もが望むところのものである。その好事も、 「無きには如かず」 すなはち、 「有るよりはむしろ無い方がましだ」 とはい […]
第11話 是れ一か是れ二か
中国は唐の時代、衡陽に張鑑という人がいた。 その一人娘倩女(せいじょ:日本流にいえば「おせいさん」とでもいうか)は、なかなかの美人で、王宙と恋仲だった。 ところが、父親は、彼女を別の男と結婚させようとした。ために倩女は […]
第15話 立処皆真なり
情報化社会といわれて年すでに久しく、私たちは必要度をはるかに超えた大量の情報の消費を強いられている。あわせて社会の高速化現象が進み、周囲は実に目まぐるしく移り変わってゆく。 ところが、人間は知性的な存在であるだけに、過 […]
第16話 お茶をどうぞ
「喫茶去」(きっさこ)という言葉があります。 「去」は助字で別に意味はないので、「お茶を召しあがれ」という意味の言葉で、茶掛や色紙などによく書かれる有名な言葉ですが、実は「趙州喫茶去」といって、禅門ではやかましい公案(参 […]
第19話 道は脚跟下に在り
禅寺の玄関に入ると、よく「照顧脚下」または「看脚下」と書いた木札が掲げてある。「脚下を照顧せよ」「脚下を看よ」と読むのだが、これは本来的には自己を究明せよ、自己を見失ってはならぬという警告だが、玄関の場合は端的にいって […]
第23話 金的を射落とす力
現在地に移って来るまで、私は長いこと山形県の米どころ庄内平野にいた。 そんなわけで、時に農業関係の話を聞く機会があった。 下農は草をつくり、 中農は稲をつくり、 上農は田をつくる、 上上農は心をつくる […]
第27話 晴れてよし 曇ってもよし
いつも三月、花のころ。女房十八、わたしゃはたち。子供三人親孝行。使って減らない金百両。死んでも命があるように。 このようになれば、まさに「日々是好日(にちにちこれこうじつ)」だが「月にむら雲、花に風」で、何事も思うに […]
第28話 心機投合
親鳥が卵を抱いて二十一日、孵化の時機が到来して、卵の中の雛鳥が殻を破ってまさに生まれ出ようとする時、卵の殻を内側からつつく。 これを「啐」という。 ちょうどその時、親鳥が外から同一点をつつく。 これを「啄」という。 この […]
第29話 相続也大難
「翔んでる」という言葉が使われて久しい。 人間が左右の足を交互に出して一歩一歩前進するのに、大空を自由自在に羽搏く鳥は人間の及ばない能力を持っている。 同様に、恵まれた才能をフルに発揮して自由闊達な活動を続ける人は鳥の […]
第30話 縁を大切に
もっともポピュラーなお経、『般若心経』というと、「色即是空」を連想する人が多いかと思う。 ここにいう「色」とは、色欲とか色情のことではなく、存在するものすべてのことなので、「色即是空」とは、あらゆる物はすべて空だという […]
第31話 いまここに生きる
道元禅師は二十四歳のとき、真実の仏法を求めて、明全和尚とともに入宋した。 青年僧道元が天童山景徳寺(浙江省)におったときのこと、ある日、病気療養中の明全和尚を見舞うため、東の回廊を通って仏殿の前まで来ると、一人の老僧が […]
第32話 茶に逢うては茶を喫し 飯に逢うては飯を喫す
平常心とは、読んで字のとおり、「平生あるがままの心」のことだが、さればといってわがまま勝手な日常の心のことではない。 飛行機に乗って雲の上に出ると、下界は雨でも上空はからりと晴れた青空である。同様に、私どもの日常はモ […]
第39話 ケチは丸損
山寺にケチな和尚がおり、桶に飴を入れ大事にしまっていて、時折一人でこっそり舐めていた。 そして一人しかいない小僧には、「これを食えば死ぬぞ」と言っていた。しかし小僧はそのウソを見抜いていた。 ある日和尚が外出した。小僧 […]
第48話 「こだわる」に一言
このごろ「こだわる」という言葉がよく使われる。 そしてそれは、たとえば「ビールは銘柄にこだわる」とか、「こだわりの逸品」などといったように、よい意味に使われている。 しかしこの言葉は本来、気にしなくてもいいようなことを […]
第51話 「修行」と「修業」
文章を書くとき、私は必ず「修行」とかいているのだが、漢字になったものをみると「修業」にあらためられていることが一度や二度ではない。 編集者が用語の慣例に従って親切に訂正してくれるのだろうが、実は有難迷惑なことである。 […]
第54話 正師を求めること
修行にとって最も大事なことは、正しい良き指導者を得る事である。 道元禅師は「学道用心集」に「正師を求むべき事」という一章を起こして、悪い指導者に惑わされると取り返しがつかなくなる。正師を得なければ学ばないほうが良いなど […]
第60話 生死事大
弘法大師の言葉に “生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く、 死に死に死に死に死んで終わりに冥し” という実に印象的な一句がある。 人はみな生まれ変わり死に変わりを繰り返しているが、生と死の本質的な意味に目覚めようと […]
第61話 落ち葉焚き
いくら掃いても掃ききれない落ち葉の季節となった。 こんな時思いだすのが良寛さまのことである。 良寛さまが托鉢に出て不在の時、良寛さまを召しかかえようとした殿様の家来が来て、五合庵の周囲の草を刈り、良寛さまに喜んでもら […]
第66話 泥中の蓮華
西郷隆盛の座禅の師である無三(むさん)和尚は、藩主島津侯の菩提所福昌寺の住職に迎えられた。 晋山式(しんさんしき)といって住職就任のとき、無三和尚は型のごとく須弥担上(しゅみだんじょう)にのぼって香を焚き、いよいよ雲水 […]