第14話 小さな善事にも至大の価値がある
仏教では、どんなにそれが“小さくても善い行い”というものには、至大(この上ない)の価値と意味があるものだと教える。
一人の人を心から愛し得るものは、ただちに社会を人類を愛し得るものだと説く。
これが仏教の説く大事な宗教的真理なのである。
肥後熊本のお殿様、細川越中守重賢が、さる大名のお祝いの席に招かれ、列座の諸侯(大名達)と歓を尽くしていた折、越中守ひとり何か考えているようであったが、左右に会釈してお手洗いに立ったので、その邸の小姓が案内に立つと、越中守は小声で、
「さきほど膳部の汁椀の蓋をとったところ、中は空であった。
膳所の者が汁を盛ったつもりで忘れたのであろう。
このことがこの家の殿に知られては、其方たちの落度になり、おとがめを受けることになろう。
じゃによって予はお手洗いにこと寄せて立って参った。
予が座に戻ったら、
『お汁が冷めましたことと存じます故、取り替えて参ります』
と申して膳を下げ、改めて汁を入れて参ったがよかろうぞ」
と知恵をつけてくれた。
小姓はありがたく涙にくれ、越中守が座に戻ると、教えられた通りにしたので、誰にも気づかれずに済んだ。
後にこれを伝え聞いたものは、みな越中守の機転と大度(大きな度量)を誉めたたえたという。
越中守は仏教でいう深い慈悲心の持ち主であった。
真の慈悲の心に立つものこそ、よく天下国家を治め得るのである。