第16話 欲望を越えて心の尊厳を
その昔、京都西の洞院に紀伊国屋という紙屋があった。
主人は亦右衛門といった。
大阪の本店から、百両の資本金を千両に殖やせという言い付けのもとに、日夜営業に肝胆を砕いた(工夫し、努力した)。
間もなく千両になったので、
「仰せの通り千両になりました」
と大阪の本店の主人の前にかしこまったところ、主人はいたく賞讃して、
「さすが、俺の見込んだ男だけあって、偉い奴だ。今度はその千両を一万両にしてくるように」
と言った。
亦右衛門は、一心不乱、妻もめとらず、満五年働き続けて一万両にした。
主人に報告したところ、
「偉い、感嘆のほかない。どうだ、亦右衛門、ことのついでだ、その一万両を十万両にすることはできぬか」
と主人は言うのだった。
「百両を千両にするのは非常な苦労でした。けれど千両を万両にするのは比較的楽でしたから、一万両を十万両にするのは容易かと存じます。」
かくて、亦右衛門は、また三年、夢中で働きつづけ十万両の金をつくった。
「いよいよもって感心な奴、ものはついでだ、その十万両を百万両にいたさぬか」
と主人はまたまた彼に言うのだった。
このとき、亦右衛門は翻然として悟るところがあった。
底知れぬ人間の欲望の深さに突き当たることによって、その欲望を越えた心の尊厳と自由を求めて出家してしまったのである。
彼が後の有名な円智坊である。
落ちてゆく 奈落の底を 覗き見ん
如何ほど慾の 深き穴ぞと
これは円智坊の時世の歌と伝えられる。
まさに現代文明は欲望の立場を超える出家の精神と哲学を導入しなければならない。