第30話 智者は惑わず
近頃、若者の間にオカルト・ブームが再燃しているようだ。
UFO・宇宙人を信じ、妖怪に魅力を覚え、予言や透視や超能力に興味を示す。
正しい信仰や真実の仏法から言ってこれは好ましい傾向ではない。
戦国期の武将・加藤清正は正しい仏教の信仰に生きたことで有名であり、それを証明するかずかずの遺品が今日残っていることは多くの人々の知るところである。
あるとき、熊本から京都へ登る途中、瀬戸内海を過ぎる頃、急に大風に遇い、船は今にも転覆しようとした。
そのとき、船頭が清正に向い、
「これは海神の崇りでございます。誰か一人を人身御供にして海にささげなければ、この荒海を乗り切ることはできません」
と、恐る恐る申しあげた。
これを聞いた清正は毅然として、
「何を申すか。人命の重く、尊いことは身分の上下を問わぬ。わが家来の一人を殺して、余、自ら生きようなどとは、露ほども思わぬ。どうしても犠牲が要るといいはるならば、まず貴様から海へ投げこむぞ」
と叱りつけたので、船頭はじめ水兵たち、命がけで船を守り、船を漕ぎ、ついに窮地を脱し、全員みな無事に上陸できたという。
これとよく似た話が徳川家康にもある。
慶長五年七月、大軍を率いて関ケ原へ出陣しようとしたときのことである。
家来の一人が、
「当年は西がふさがっています故、方角を避けてご出陣なされますよう」
と言うと、家康は、
「西がふさがっているというなら、わしが開いて進む」
と言い切って、西に向けて出陣し、関ケ原の決戦に大勝利をおさめた。
日の吉凶、方角の善悪などに囚われるのは真実の信仰、まことの仏法を持たないが故である。