第37話 「こころ」の在り方を問う ─仏教の出番はいま─
地球をこれ以上汚してはいけないというので、省エネを進めたり、二酸化炭素の排出量を規制したりしている。
もちろん、これは当面大切な対策であるけれど、そのように、起こってしまってから、慌てて一時的な尻ぬぐいみたいな処理をしてみても、いずれはまた違った形での環境問題が出てくるのは目に見えている。
問題はそういう地球汚染や環境破壊を生み出し続けるわれわれ現代人の「こころ」の在り方にあるのだ。
つまり地球を資源のかたまりとみ、それをどこまで使っても良いとするわれわれの心の在り方。
目の前の楽しみや、今さえ幸福なら先はどうなってもかまわぬという心の在り方。
それらの心の在り方を根本的に変えないとダメだという考え方が最近いわれるようになった。
「ディープエコロジー」と呼ばれる考え方である。
ディープエコロジーは、自然は聖なるものであり、われわれは聖なる自然との正しい関係を取り戻さなければならないと訴える。
そして自然との「宗教的」な相互関係の重要性を強調する。
さらに自然は「いのち」あふれた生と死の海であると説く。
この考え方は、まさしく釈尊によって説かれた仏法そのものである。
山川草木悉皆成仏とは今日のディープエコロジーと軌を一つにする。
人間はいのちあふれる自然から生を受けたのであり、その中へと死んでゆく存在である。
文明がいのちに目覚めないかぎり地球はダメになってゆく。
今こそ仏教々説の出番であることを痛感する。