第60話 人の命は機械ではない
総理大臣の諮問機関として昨年発足した「脳死臨調」は精力的に実動しているもようでときどき新聞などにも動きが報道される。
近く、首相の答申が出されるとのことであるが、どのような内容であるのかわたくしどもは深い関心をもってそれを見守っている。
ごく最近、この問題について作家の渡辺淳一氏とアメリカの世界最大の移植センターといわれるピッツバーグ大学の教授で、さかんに脳死者からの臓器移植を手がけていられる岩城裕一氏との対談がある雑誌に出た。
対談の中で、渡辺氏が岩城先生に
「アメリカは脳死を人の死と認める過程で、国民的合意といったことが問題にされましたか」
と尋ねたのに対し、
「されませんでした。科学の問題にどうして国民的合意が必要なんですか。脳死は脳外科医がみれば一目で分かる死の状態です。これはもうあたりまえの科学的事実ですよ。」
とこともなげに言い放っておられる。科学的事実をめぐって論議は無用だ。素人はつべこべ言うなといった発言にはどうも賛成いたしかねる。科学者の思い上がりとしか言いようがない。
アメリカ人には国民的合意など必要なかったかも知れないが、日本文化のなかには、死と生について深い哲学や信仰に根ざした観念がある。科学的、医学的な死とは別に、死を情緒的、感情的に受け止めてきた日本特有の死生観もある。
政府臨調はそこのところもじゅうぶんに論議してゆくべきである。
われわれ仏教徒は格別それを願っている。
※この法話は平成3年に書かれたものです。