第65話 形より心へ
昔、ある孝行息子が、足腰の立たない父親を背負って、お殿様のお通りを拜ませていると、それがお目にとまって、
「感心な若者じゃ。褒美をつかわせ」
というので、沢山の頂戴物をした。
その話を聞いた親不幸で評判男、
「うまいことしやがった、俺もまねをして褒美にありつこう」
というので、次のお殿様のお通りに、嫌がる父親を無理やり背負って道ばたで待ち受けた。
ところがお側づきの家来が親不孝者と知っていて、
「あいつはご褒美めあてに、あんな真似をしております。けしからぬ奴めにございます」
と申し上げた。
お殿様、おとがめかと思いのほか、
「よしよし、うそでもよい、褒美をつかわせ、親不孝者が孝行の真似をするとは感心な奴じゃ、賞めてつかわせ」
と仰せられた。
この殿様の領内では褒美欲しさに親孝行の真似がはやり出した。それが嘘でも、真似でも、親孝行の行いをされると、老人達は真実悦んだ。悦ぶ老人の姿をみて、若者達は心から親を大切にするようになったという。
この殿様はまことに賢明と申すべきである。
夜眠る時、眼を閉じて、眠った真似をしていると、やがて本眠りにおちてゆく。人生すべて、善悪ともに真似からはじまる。
「形より心へ」というが、その通りである。「悲しいからなくのではなく、泣くから悲しいのだ」とはジェームス・ランゲの法則。
仏法で合掌とか、座禅とか唱題(南無妙法蓮華経とお題目を唱えること)とか念仏(南無阿弥陀仏と唱えること)とかいうのも、すべて、形から心への真理に沿ったものである。
威儀即仏法というのも全く真実なのである。