第89話 いのちをえらびとる
今年も8月15日の終戦記念日がやってきました。
今もなお、1980年に始まったイラン・イラク戦争が続いています。
先月にはアメリカ戦艦によるイランのエアバス撃墜という凄惨なできごとがありました。
どうして人類は戦うことを止めないのでしょう。
戦争をたくらむ人々は、必ずもっともらしい口実を作りだしますが、わたくしどもがはっきり知っておかねばならぬことは、「どのような理由があっても、よい戦争というものはあるはずがないし、またどんな平和でも、悪い平和というものはあるはずがない。」という古人の教えなのです。
仏教の根本の戒めが不殺生にあることはいうまでもありませんが、それは仏教がいのちの教えであるからです。
「生きとし生ける者を殺すなかれ、殺さしむなかれ。一切の者は刀杖を恐れ、一切の者は死を怖る。」(ダンナ・パタ)と原始仏教経典に記される通り、みずから犯す殺生はもとより、他人の殺生をも許さないのが仏教の本義である。
一人の生命を奪うことも許さぬ仏教において、多数の生命を奪う戦争を許さないことは、いうまでもない。大乗仏教の諸経典においても、殺生を否定し、戦争を否定し、そして仏教の求めるものが真の恒久平和であることを明らかにしています。
ヒロシマの詩人、峠三吉さんの次の悲痛な叫びを忘れてはなりません。
「ちちをかえせ、ははをかえせ、としよりをかえせ、こどもをかえせ、わたしをかえせ、わたしにつながるにんげんをかえせ。にんげんのにんげんのよにあるかぎりくずれぬへいわをかえせ。」
※この法話は、昭和63年7月に書かれたものです。