第32話 マトリックスの仏教仕立て

挿し絵 映画マトリックスの第2弾が封切られて2週間(私はまだ見てません)。第1作ではジャンプした人間が空中で静止しているのにカメラがグルリとその周囲を回るカメラワークに度肝を抜かれ、エージェントの「人間は増殖し他の場所を浸食していくんだ。それと同じものがある。ヴィールスだよ」の台詞に、ハッとした方も多かっただろう。

 この第1作の最後で、主人公のネオがコンピューターによって描かれている世界に目覚める場面がある。壁、天井、人間など周囲のすべてのものが、データに見える瞬間だ。
この場面を見た時に「ウッヒョー!」と、歓喜と共感の感嘆詞が口からもれそうになった。ネオが見たデータのかわりに、それが全部仏に見えたら、それが覚醒、つまり悟りだと思ったからだ。

 仏教では、この世の中にあるものは、見る人によってはどんなものだって、仏さまや、仏さまの声だといいます。あなたが見ているこのディスプレイも、マウスも、それを使うあなただって、仏さまなんだ。仏を、現実とか真実と言ってもいいです。真実(真理)のことを仏ともいいますから。
私は、葉っぱを濡らす雨や、洗濯物を揺らす風を「へえ、たいしたもんだな」と感じることが年に5回くらいあります。
洗濯物を干してくれている家内を「たいしたもんだな」と思うことは年に3回くらいあります。早く、どんなものにでも「たいしたもんだな」と合掌できる人になりたいと思います。

 次回は小学校で行われている道徳の公開講座で思ったことを……
道徳をどう説く?