第72話 風のいどころ
はらはらと散りゆく桜の花びら。あるものは地面に落ち、あるものは春風にクルリン、クルリンとどこかへ運ばれていく。そして、ふと思う――明日、あの桜を運んだ風はどこで何を揺らしているんだろう……(昔の少女漫画みたいで、少しテレルけど、ホントだから仕方ない)
数年に一度くらい、感性ともいうべきアンテナに何かひっかかることがある。理屈じゃなく、感じるのだ。
トイレで用をたしていたら、小さな虫が私の目の前の壁をよじ登っていた。だから、その虫に
「お前、名前はなんつ~だ?」
と声をかけた。
もちろん虫は答えない。そんなことは百も承知だ。しかし、自然に出た言葉だった。自分でもにが笑いした。
今思えば、同じ時、同じ場所で生きているもの同士だという、共通性を感じたからだろうと思う。
それと同じことを、風に感じることがある。正確に言えば風ではなく空気だ。
私の頬をなでる空気は、6時間後どこの木の葉を揺らしているだろうと考えることがある。
自分勝手だから、きっと自然豊かな森か林(この“森か林”は声に出して読んでください。モリカアヤシに聞こえるようならダレテイル証拠です)の若葉を揺らしている風景を想像する。近所の公園の公衆便所の隅によどんでいる空気になっているなんて夢にも思わない。
そして、私の短い髪の毛の間を抜けていくこの空気は、昨日はどこにいたんだだろうとも思う。
太平洋の波の上を小さなさざ波を作り、そのしぶきを受けた風だったかもしれない……。
そんなわけで、私の“言いたい放題写仏”に添えている言葉にこんなのがある。
草の葉ゆらす その空気(かぜ)よ
昨日の今頃 どこにいた
明日の今頃 どこにいる
草の葉ぬらす その雨(みず)よ
昨日の今頃 どこにいた
明日の今頃 どこにいる
こうして、自分とかかわりをもっているものに思いを馳せると、毎日の生活が心豊かなものになっていきます(これが、第7話「私は宇宙と同い年」へとつながっていきます)。
さて、次回は共通性つながりで思い出した、自分のことで恐縮ですが「クチ下手」でいきます。パーティーなどで一人ぼっちでいる人、ご一読を。