第80話 オシャカとオダブツ

挿し絵 久しぶりにみみなちゃんからリクエストがきた(もう中学生だっけ?)。
「オシャカになるって仏教語ですか?」というものだ。これは、物づくりをする人たちのあいだで使われていた言葉です。不良品やこわれちゃったものを「オシャカになった」と言います。

 なぜかというと……怪しい説と、そうでない説があります。まずは怪しいけど、おもしろい説から。

 お釈迦さまの誕生日は4月8日、読みはシガツヨウカです。もともと陶器をやっている人たちが、火が強すぎて不良品になってしまった時の言葉が、“シマッタ!火が強かった”。ここからヒとシがうまく言えなくて、しがツヨカッタ⇒シガツヨウカ⇒4月8日となって、それがお釈迦さんの誕生日。よってオシャカだ!ガハハハハハ……というもの。オヤジギャグのひとひねりバージョンなので、私はこの説が大好き(ただし信憑性は薄い)!

 そして、もう一つの説。
人は死んじゃうとあらゆる束縛から開放される(ちょっとムズイ?)んだよね。それは仏さまになったお釈迦さまと同じ心の状態でもあるんだ。だから亡くなった人のことを“ホトケ”って呼ぶことがあります。
他にも、もう私たち人間の手にはおえない所へ行ってしまったので、あとは阿弥陀仏にお願いするしかないというので、亡くなることを、アミダブツを略してオダブツ(オは丁寧語)って言うこともあります。
そんなわけで、この世のものではなくなること、表面上は役にたたなくなったものを称して、“オシャカになる”とか“オダブツだ”なんて言います。

 仏さまたちにちょっと失礼な言い方だけど、みなさんも、みみなちゃんみたいに、こんな言葉から仏教に興味をもってくれたらウレシイッス。
 でもね、失敗した焼き物なら、割られて再びもとの土にかえるし、金物なら溶かされてもとの金属にもどるんだよね。……というわけで、次回は♪元へとかえる♪つながりで、都鳥さんからリクエスト「仏教で使われる数について」に答える形で、“南京玉簾的仏教”でいきます!