第200話 仏教
仏教――それは“仏さまの教え”でもありますが、“自分が仏になるための教え”でもあります。“仏”という言葉に、死者のイメージやうさん臭さを持っている方、あるいは親近感がもてない方は“すばらしい人になるための教え”と読み替えても、いっこうに差し支えありません。はたまた、逆説的に“つまらぬ人にならないための教え”としても、構いません。
その“つまらない人にならないため”に、なぜつまらない人になってしまうのかを考察し、さまざまな方法が考えられ、実践され、効果をあげてきました。それが、仏教の歴史でもあります。それらの方法は、人により、時代により千変万化します。
お墓参りをしてごらんなさい。
感謝の心を忘れないで。
心静かに瞑想しなさい。
仏を念じなさい。
身体を痛めつけなさい。
踊りなさい。
人里離れた所に住みなさい。
私の言うこと聞きなさい! などなど。
どの時代でも、どの国でも、どんな人にも通用する“つまならい人にならないための方法”などありません。お釈迦さまも、インド各地を説法して巡っていた時には、人によって説法を変えました(説法をする前に、その人のことを十分に知ってから話したはずです)。相手の機根(気根・きこん)に応じて説法したことから、これを、対機説法と言います。
それがやがて宗派という違いを生み、さまざまな仏が出現した理由です。一つになど絞り込めないし、絞り込む必要もないのです。人はそれぞれ違うのですから。
自分が“つまらない人にならないため”には、この方法が良さそうだと思ったら、興味を持ってやってみるといいでしょう。そして、時々立ち止まって「自分の目標は何だったのか」を思い出す心の余裕を、冷静さを持っていてください。そうでないと、手段が目標になってしまうことがあるものです。
最初のいただきものは、この命です。この命を続けていくために食べ物もお金も必要です。しかし、この命を輝かせていくためには、グルメになる必要も、お金持ちになる必要も、偉くなる必要もありません。人の悪口を言っても自分の命は輝きません。
あたたかい真心(まごころ)があれば、キラキラと輝きはじめます。
さあ、これからも、ご一緒に、仏道を、朗らかに、てくてく歩いていきましょう。
さて、私の「ちょっといい話」をご笑読いただきました皆々さま、一週間生きていて、坊主として皆さんにお伝えすることが一つもないような生き方をしていてはイカンと、思い綴りし拙文の数々、その数200編。本当に良くお付き合いいただきました、ありがとうございました。リクエスト全てにお応えできずに申し訳ありませんでした。
このページを私のHPだと勘違いしていらっしゃる方がとても多いようですが、これは(株)日本テンプルヴァンのHPの一角であります。私も個人的に別のサイトを立ち上げるなどの方法で、この続きのようなものを企画しようかなと思っております。その折りには、またご縁を結んでください。
それでは、皆さま、すみからすみまで、ズ、ズ、ズイとォ……、厚くおん礼申し上げぇ、奉りまするぅぅぅぅ。 合掌 名取芳彦