第41話 知識と知恵
知識は「知識を得る」というように外から学び取るもの。、知恵は「知恵を磨く」とか「知恵を出し合う」というように、持って生まれた内なるものを磨くことによって外にあらわれ出るもの。
昔、道学者のところへ一人の青年が訪れ、処世の心構えを訊ねた。
道学者いわく
「堪忍の二字をしっかり腹に納めよ。この二字さえ腹に納まれば人に何をいわれようと腹が立たん」
青年はか・ん・に・ん──と指折り数えて
「先生、かんにんは四字じゃありませんか」と聞いた。
「いや、四字じゃない。堪忍は、たえ・しのぶと書いて二字じゃ」
青年は
「た・え・し・の・ぶ・というと、先生、五字になるじゃありませんか」
すると道学者先生はカンカンになって怒り
「お前のような無学な者に何を教えてもわからん、帰れ、帰れ!」と怒鳴ったという。
この道学者先生には、人に教える知識はあっても、その知識を我が身に応用する知恵がないのである。
このような人を「論語読みの論語知らず」というのであって、これは昔の笑い話として済まされることなく、「紺屋の白袴」「医者の不養生」「坊主の不信心」といったように、私どもの周囲には職業のいかんを問わず、人に教える知識はあっても、その知識を我が身に応用する知恵のない人、実践を忘れた人が多いのである。
知識人となることはもとより大切であるが、知恵の人となることがより大切である。