第50話 明君のもと明臣あり
備前岡山の藩主、池田新太郎光政は徳川時代の明君として名高い。
この明君の家臣に津田左源太という小姓の若侍がいた。彼は宿直(とのい)といって、殿の寝室の隣で不寝番の役を勤めていた。
ある晩、気の弛みか疲れからか不覚にも居眠りをしてしまった。
折悪しく殿が目を覚まし、
「隣に居るのは誰じゃ」
といわれた。はっとして目を覚ました左源太が、
「はい、津田左源太にござります」
と答えると
「いま何刻じゃ」
とのご下問。時計のない三百年も前のこと、時を告げる時報を聞き漏らすと皆目見当がつかない。
左源太、いい加減に答えて誤魔化すか、それともお叱りを覚悟で居眠りを白状するか。
こういうせっぱ詰まったとき、忽然として意識の表面に表れて行動を決定づけるのが日頃の生き様である。
左源太は、「眠りいて相判らず候」と答えた。
殿の命を護る不寝番が居眠りをするとは許し難い怠慢であり、普通の殿様なら、「けしからん」と処罰するところであろうが、池田新太郎光政、勤務上の過失よりも処罰を恐れず、自己の過失を率直に告白した左源太の正直な勤務ぶりを高く評価し、彼が二十五歳に達したとき、評定衆という藩の重責に任じたという。
居眠りをして成功するとは珍しい話だが、これは、
「明主の人を任ずること、巧匠の木を制するが如し」
の譬(たと)えのように、明君に恵まれたからのことである。
※明君:賢明な君。賢い君主。