第56話 正しい宗教に生きること
前回、絶対随順について話をしたが、オウムの信者はまさに絶対随順の信仰生活をしている。
ここで大切なことは、その宗教が本物か否か、見分ける見識を持つことであるが、これがたいへん難しい。
戦前においては、旧制高等学校から大学にかけて、真に心の糧となるべき古典、特に哲学書や宗教書が多く読まれ、多感な青年時代の心を純化し、かつ豊かにしたし、宗教や信仰に対する予備知識ないしは批判力がごく自然のうちに養われてきたのだが、戦後になると、心の糧が与えられるチャンスはごく限られ、世の風潮に禍いされて自ら求めようとする人が少なくなってないか。
従って宗教などは五里霧中の彼方にある幻のようなもので捉えどころがなく、予備知識もない。にもかかわらず精神的不安が募ってくる。ここに空前のカルトブームが醸成される土壌があった。
戦後、いかがわしいカルトが実に多く発生し、またうたかたのごとく消えていった。そして世界の終末を強調して不安と焦燥感をあおる予言は宗教史の中に生き続けており、これが世紀末にその力を得ている。
そうした中で暴走を続けた閉鎖的な犯罪集団、荒唐無稽な予言に洗脳され、これを信じ切って平然と人命を奪うことまでしたエリートの若者の姿を見るとき、正しい信仰を培養する社会的環境、そして宗教を尊重する教育的配慮がいかに大切なものであるか、十分に認識する必要がある。