第93話 涅槃会に思う
まさに度すべきところの者はすでに度し終わって、大勢の弟子、仏教守護の神々、そして多くの獣物にまで取り囲まれ、嘆き悲しまれて涅槃に入りたもうお釈迦様ほど偉大な別離の光景を演出した方は歴史上かつてなかったし、今後もないことでありましょう。
この間、80歳の老母を亡くしたお医者さんが、
「それはもうひどいものですっかりもうろくしてご飯をなんぼでも食べるんです。私、医者ですから、つい『そんなに食べるんじゃないよ』といって箸を取り上げたことが何度もあるんですが、それがくやまれましてねぇ…」
と述懐しておりました。
そこで私が
「ワシントン・アービング『スケッチブック』に“人は死別に際してどうしてそんなに悲しむのか。それは永遠の別れということもさることながら、生前のあれもしてやればよかった、これもしてやってやるべきだったという悔恨の情が人を悲しませるのだ”というくだりがありましたが…」
というと、
「そうです。そのとおりですね・・・」
といって涙をふいておりました。
年々歳々、涅槃会に相逢うて、歳々年々に「遺教経」を読んでは
「汝等比丘、我が滅後においてまさに波羅提木叉を尊重し、珍敬すべし…これは是れ汝等が大師なり…」
というお示しに違背している自分の姿を見出し慚愧にたえません。
亡き母に対するいたらなかった自分への呵嘖が生涯続くであろうそのごとく、お釈迦さまのみ教えのままに生きられなかった歎きは生涯続くことでありましょう。