第97話 曼珠沙華の咲くころ
この間、病いをおして遠くから訪ねて来た知り合いの老人が、「もう会えないだろう」と感慨ぶかげにいうので、名残りを惜しんで羽田空港まで見送った。
いつもは気ぜわしく乗り降りしている空港だが、その日は見送りでもあり、時間もあったので見送りデッキに登った。
こんなにひろかったのかと思われる滑走路わきの緑の空気をゆるがせ、爆音高く飛び立つジャンボ機が、澄んだ大空の彼方に消え去るのを見ていると、ふと「ああ、夏も終わったなァ」という感じが頭をよぎった。
額には汗がにじんでいるが肌にふれるここちよい風はもう秋を告げている。
夏が去れば秋は日一日とかけ足でやって来て、曼珠沙華が眼にしみるような赤い、妖しいまでの美しさを競うのも間もないことであろう。
ご承知のように曼珠沙華は彼岸花ともいわれる。
彼岸とは、現実の此岸、こちら岸に対する理想のことであり、同時にまたその彼岸に到達すべく努力精進することをいうのであり、仏法の一大事は彼岸の二字に集約することができるのである。
しかし、彼岸の行事はインドや中国にはなく、日本独特のものである。
きびしい寒さから解放された三月と、酪農の夏を過ぎた九月の、寒暑平均、昼夜等分の春秋二季にこれを設けた私どもの祖先の叡知はまことにすばらしいものである。