第25話 散骨
1991年10月5日「葬送の自由をすすめる会」が、神奈川県相模灘の外洋で、遺骨を海へ撒くという、自由葬「散骨」を実施した。
このことは、戦後50年余りを経た現在も、遠く戦地に残された戦死者の遺骨を、何としても祖国へ持ちかえりたいと切に想う日本人の情感に、全く異質の民族性が突如芽生えたかのような、違和感を投げかけた。
古来、遺骨は必ずお墓に納めるもので、お墓以外に収まるところは無く、だからこそ遠く外地へ赴き、無名の遺骨であっても遺品と共に収集し、せめて日本の地に埋葬してあげたいと誰しもが願い、合葬されたそのことだけでも、故人の無念を晴らした事として、想いを偲んだ。
そんな日本人の情感とは異質の行為は、驚きと侮蔑の眼で迎えられると直感したが、思い過ごしで、一部では歓迎され、極めて好意的にマスコミに取り上げられ、後に続く人もふえた。
早速、法務省刑事局は「刑法190条の規定は社会的習俗としての宗教的感情などを保護するのが目的だから、葬送のための祭祀で節度をもって行なわれる限り問題は無い」とし、厚生省も現行の墓地埋葬法には抵触はせず「国民の意識、宗教的感情の動向を注意深く見守って行きたい」という見解を示した。
今、日本人の生死の行方は、自由という権利主張で変質し、寄り添い、助け合い、託しあう、共生の瓦解がはじまっているのだ。
- (注)刑法190条
- 【死体遺棄等】死体、遺骨、遺髪又は棺内に蔵置したるものを損壊、又は領得したる者は3年以下の懲役に処す