第51話 「安楽死」を是認するのかIV
「死」の決定は個人の意志によると明言したが、個人が自ら死を求めたら、医師は意志を尊重して、実行するのだろうか?
そんなに軽い判断をする医師は、勿論絶対にいるはずはないが、医師と患者の基本的な相互理解『インフォームド・コンセント』は、重要且つ不可欠といえる。この医師と患者間の、説明 ・ 理解 ・ 同意の相互関係は、常に傍らに居て看取るという医師の覚悟なくしてはなく、両者に絶対の信頼と合意があれば、肉体的な疼痛や、懊悩や不安といった心の痛みも和らげ、生きる希望と励ましをも与え、医師自らが患者のたっての望みとはいえ、治療を放棄して、死を促すこともできまい。
では医師と患者が親子であり、患者も医師であり、家族にも医師がいるという構成では、共に医学を極め、治療の過程で重篤が更に進み、結果も予想できると患者自身も納得している場合は、終末期において、積極的な行動をしても良いか?
答えは「NO!」である。
医師が幾ら大勢いても、医師(それも家族の)だけの科学的判断は危険である。
「命」の尊厳は、不可思議な課題なのだ。
又、日本における親子の関係は、時として傲慢になり、親は子を、子は親の「命」を、自分の「命」の如く決定づける。
「命」守る上には、親子の情愛や医師の価値観には決定権はなく、遺漏なき真摯な医療行為と、「生」への祈りがあるのみである。