第52話 黒白二鼠の譬え
仏教は凡夫を、どう捉えるのか?
茫々として、見渡す限り何一つない荒野を、疲れた空腹の旅人がさ迷い歩き続ける。すると突如どこから現れたか、群れを離れ凶暴と化した巨像が、旅人を見つけ、襲いかかる。
旅人は荒野を逃げに逃げ、足ももつれ根も果て、もはや此れまでと観念したとき、目の前に空井戸が穿かれているのに気づく。
巧いことに藤蔓も垂れ、それに捕まって井戸穴に下りれば、巨像も去って行くだろうと、先ずは安心して、井戸底へスルスルと降りると、妙な殺気を感じ、見れば今時遅しと、大口を空けた大蛇が待ち構えている。
アッと進退窮まり、身を縮めて逃れ、丁度の塩梅で中間にぶら下がっていれば、ひと先ず安心と回りを見ると、逃げ込めそうな横穴が四つも穿いている。しめたと思い、身を揺すり、横穴に飛び込もうと勢いをつけたら、今まさに飛びかからんばかりに、四匹の毒蛇がシャーッと狙っている。
しかしまだ藤蔓に捕まっているうちは安心と一息入れると、カリカリと上で音がする。見れば何と黒白二匹の鼠が藤蔓を噛んでいる。
終に命は風前の灯火と、観念したとき、藤蔓に咲くきれいな花から、一滴の甘い露が滴り落ち、旅人の唇にポタリッと落ちた。
「何と甘い蜜だろう」
旅人は、巨像も大蛇も毒蛇も二匹の鼠の事も忘れ、甘い露の落ちるのを、待ち望んだ。
永劫、凡夫は欲望の虜である。