1996-1999
第1話 念ずれば花開く
小さな小さなタネを蒔き、水をやり、肥料を施し、太陽の恵みに会うと、苗はスクスク成長し、やがてはきれいな花を咲かせ、素晴らしい果実を実らせる。どんなに高価な花のタネでも同じことで、蒔いて大切に育てれば愛情も湧き、育ててい […]
第2話 信なくんば立たず
子貢が政治の要諦をたずねると、孔子は、まず第一に、「食を足し」食生活の充実をはかってやること、次に、「兵を足し」軍備をととのえること、そして、「民これを信ず」民の信頼を得ること、と答えた。 子貢は、ではその三つのうち、止 […]
第3話 旅人の危機管理
一人の旅人が山道を歩いていると、ふと、うしろに異様な物音がする。ふり返ってみると大きな虎が追っかけてくる。 「こりゃ大変!」 と走り出した旅人は、 「あっ」 と息を呑んだ。前は絶壁だった。 「もはやこれまで!?」 と諦め […]
第4話 無きには如かず
「好事も無きには如かず」 好事とは読んで字のとおり、よいこと、結構なこと、めでたいことであり、これは誰もが望むところのものである。その好事も、 「無きには如かず」 すなはち、 「有るよりはむしろ無い方がましだ」 とはい […]
第5話 きこりとさとり
お釈迦さまの時代、インドの先進的な都市ヴェーサーリーに維摩という大富豪が住んでいた。彼は学識すぐれた在家信者であったが、大乗仏教の代表的な経典『維摩経』の主人公としても有名である。 ある時、光厳童子(童子とは修行者、また […]
第6話 一度ただ一度
幕末の政治家として著名な大老、井伊直弼は、今から一八〇年前、彦根藩主井伊直中の十四男として生まれた。 庶子として、その一生を部屋住みに終わる宿命にあった若き日の彼は、自分を埋木にたとえ、その居室を埋木舎と称していたが、 […]
第7話 保険と観音さま
「福聚海無量(ふくじゅかいむりょう)」 これは『観音経』の末尾に出てくる言葉である。 「福聚」は福の集まること、それが海のように広大で洋々として、しかも無量であるというのであって、これは観音さまの徳を讃えた言葉であ […]
第8話 水を掬し花を弄する
私たち人間の意識は、眼で物を見、耳で声を聞き、鼻で嗅ぎ、舌で味わい、体で触れるというふうに、五官の窓をとおして物事を分別している。このはたらきを総括して「見るもの」といい、「主観」といい、また「自」などといい、その対象 […]
第10話 花 誰が為にか開く
「春色高下無く、花枝自ら短長」 という句がある。 春の気色、風情には高下の別はないが、花をささえる枝にはおのずから長短があるように、人間はじめ禽獣草木すべては宇宙の大生命の発露であり、本体的には「春色高下無し」で一味平等 […]
第11話 是れ一か是れ二か
中国は唐の時代、衡陽に張鑑という人がいた。 その一人娘倩女(せいじょ:日本流にいえば「おせいさん」とでもいうか)は、なかなかの美人で、王宙と恋仲だった。 ところが、父親は、彼女を別の男と結婚させようとした。ために倩女は […]
第14話 地底から湧出せる菩薩たち
昨年(平成7年)は乙亥、五黄土星中宮の年で、昔からこの年には震災や動乱、戦争などが起こるといわれている。思えば関東大震災(大正12年)も同じ年まわりである。 1月17日の阪神大震災では6308人(平成8年12月27日 […]
第15話 立処皆真なり
情報化社会といわれて年すでに久しく、私たちは必要度をはるかに超えた大量の情報の消費を強いられている。あわせて社会の高速化現象が進み、周囲は実に目まぐるしく移り変わってゆく。 ところが、人間は知性的な存在であるだけに、過 […]
第16話 お茶をどうぞ
「喫茶去」(きっさこ)という言葉があります。 「去」は助字で別に意味はないので、「お茶を召しあがれ」という意味の言葉で、茶掛や色紙などによく書かれる有名な言葉ですが、実は「趙州喫茶去」といって、禅門ではやかましい公案(参 […]
第18話 冷暖は身体で覚える
文字や言語はたいへん便利なものだが、案外不完全で不便な一面もある。たとえば右はどちらか、左はどちらか、これは文字や言語で教えられたものではなく、身体で悟っていることなのである。 試みに辞書を開いて「右」の項を見ると、「 […]
第19話 道は脚跟下に在り
禅寺の玄関に入ると、よく「照顧脚下」または「看脚下」と書いた木札が掲げてある。「脚下を照顧せよ」「脚下を看よ」と読むのだが、これは本来的には自己を究明せよ、自己を見失ってはならぬという警告だが、玄関の場合は端的にいって […]
第20話 六根清浄どっこいしょ
日本人は昔からきれい好きな、清潔を愛する国民で、その清潔感は道義感覚と表裏一体になっていた。 品位の高い人を「人格高潔」「きれいな人」「清潔な人」といい、その反対の人を「不潔」「きたない」「よごれている奴」などといった […]
第22話 とらわれない心
クルマの運転をなさるかたなら、どなたにも思い当ることだろうが、自動車学校に通いはじめた頃は、両手両足のそれぞれ違った動作がなかなか思うに任せない。 これはなぜかというと、心が一つ一つの動作にとらわれ、意識の切り換えが遅 […]
第23話 金的を射落とす力
現在地に移って来るまで、私は長いこと山形県の米どころ庄内平野にいた。 そんなわけで、時に農業関係の話を聞く機会があった。 下農は草をつくり、 中農は稲をつくり、 上農は田をつくる、 上上農は心をつくる […]
第24話 こころの鍵
知り合いの若奥さんがやって来て、開口一番、「昨晩はサンタンたるものでした」という。「どうしたの?」と訳を訊ねると、カギをなくしてわが家に入れず、主人の帰りを待ったのだが、終電でも帰って来ない。“どうしたんだろう”と思っ […]