2000-2002
第26話 豊かさのうらがわ
このごろすこし変で、折角物が豊かにあって、生活水準が上がったと思うのに、自分だけ良いように考えて、他の人は無視するか、差別するばかりです。 子供のころ、物が一つしか無いのはあたりまえで、ラジオも一つ、テレビも一台、ご […]
第27話 冥界の鏡
世の中、人知れず隠れて犯した罪や社会悪を、一体誰が明快に裁くのだろう。 例えば、戦後の幾つかの疑獄事件である。 完全に有罪でありながら、その金銭の受け渡しが、確かな犯罪としての証拠を提供できない場合は、彼らに有罪の […]
第28話 新幹線症候群I
「新幹線症候群」は、尊敬する先輩吉田生而先生の造語である。症候群は、普通はカタカナ語でシンドロームと表現され、もとは医学用語で身体に同時に発生した一連の症状というが、今日では「……の傾向」とか「……的性向」という意味に […]
第29話 新幹線症候群II
吉田先生から「新幹線症候群」の話を聴いたのは、10年以上も前の気がする。 真言宗の教理を説くために新幹線の話をなされ、乗ったら降りる式の結果だけを重視して、悟りのみを求めるのではなく、一つずつ積み上げる修行の果てに悟 […]
第30話 新幹線症候群III
医師や看護婦さん、ソーシャルワーカー、主婦の方と結成した「生と死を考える会」の執行部を10年目で退任させて戴いた。 理由は、ふと思いついて始めた、新聞の切り抜きが原因である。その年の1月元旦より、ニュースやノンフィク […]
第31話 新幹線症候群IV
「十四無記(じゅうしむき)」という釈尊の教えがある。仏教語大辞典によれば、「無答記ともいう。他の諸宗教諸学派から向けられた十四の形而上学的質問に対して、釈尊が黙して答えを与えなかったこと(『倶舎論』)」とされ、釈尊が異 […]
第32話 崩壊した人間関係
現代の社会問題の起因は「こころの荒廃」であると叫ばれて久しい。多分に被害妄想狂の類い過多で申し訳ないが、この荒廃ぶりは、単に政治や社会、教育の在り方の政策の欠陥を因とするきめつけは、あながち外れではないが、もっと根本的 […]
第33話 消える美学
毎日漫然と過ごしていると、緊張感というか、感覚や反応も鈍くなって、物事をなおざりにしたり、明日に持ち越したりは当たり前で、近頃の便利さが、今という時の大切さを、忘れさせるように仕向けるのか、一々記憶する煩わしさの逃避を […]
第34話 瞬時の邂逅
今更、食通や芸通を気取って、粋人ぶったりはしないが、日本人だけがもつ味覚や視覚、聴覚は、格別のものだと自負をしている。 しかしこの頃の、安直で、マスコミや情報過多に踊らされている風潮に苦言を呈したい。 やたら高額な […]
第35話 季節の行方
山形から畏友から、ルビーのような見事なサクランボが届いた。年々早くなる贈り物に、家内総出で戴き、季節を満喫した。 サクランボは早生というわけでもないのに、四月には店頭に並ぶし、今年も桃や梨、蜜柑だって出ている。 蜜 […]
第36話 伝承
日本の文化の伝承というものは、極一部のものを除いては、古来より血族意識と秘密性に守られて、器の水を一滴も残さず別の器に移すようにして伝わった。その型は多分お大師様が、密教を正嫡の弟子へ師資相承したあたりが因と思われるが […]
第37話 本物を識る
ブランド・ブームといわれて久しい。 東京銀座の街は、外国の一流店が団体で越して来たようで、つい先日もフランスの老舗が開店し、マスコミが大挙し、さながらスーパーのバーゲンセールのごとき感で、大方の識者の顰蹙(ひんしゅく […]
第38話 今を生きるI
今様に表現すると、トレンドと言うらしいが、高校生やそれに準ずる若者の行動には、とても危ういものを感じる。 殊にもう一昔前からの流行か、あのルーズソックスというのも、自分を主張するために、ほんの少数や個人がファッション […]
第39話 今を生きるII
戦後の生活環境と所得の向上は、個々に持ち家に住むという願望を実現し、大家族から核家族へという社会現象が生まれ、家族がこれまた個々に部屋を持つという文化に発展し、間取りに合わせたのか、少子化という現実が起こった。それに伴 […]
第40話 今を生きるIII
高校生達が良く使う「シカト」という言葉は、無視するという事だが、もとは賭博用語で、花札の十月札が紅葉に鹿の絵柄で、鹿がそっぽを向いて紅葉を見ないことから、知ってて知らぬ振りをすることを、「しかとお(鹿と十月札)」と言っ […]
第41話 今を生きるIV
群れて街を謳歌する若者や、疎外されたり、独りに閉じこもって、自分だけの部屋でこの時を生きている若者の危うい青春は、それぞれに今を過ごしているわけだが、二度とないとても大切な時を無駄にして、極めて狭い社会でもがいているよ […]
第42話 環境保全
我が街F市は、東京駅へ快速で25分、通勤には至便な近郊都市であるために、早くからベッドタウン化し、公団や住宅が林や畑を整地して建設され、都市計画も杜撰だったのか、駅ビルの屋上から眺望すると、中心部の駅周辺の繁雑化はもと […]
第43話 理解できない「日本人」の変
昨年の夏から常勤職を得て、朝食をかっ込み、自転車に飛び乗り(自坊からJRの駅までの道のりには私鉄の踏切を2回渡るため)回り路で駅に捷り、ラッシュに揺られている。 家を飛び出した瞬間から「何だ!?」と、腹が立ち始める。 […]
第44話 「安楽死」を是認するのか
朝日新聞紙上独自の事だが、本年の8月26日の朝刊に『父を「安楽死」させた・・・医師告白』が掲載され、話題を呼んでいる。 内容は、17年前、ある内科の勤務医(兄も医師)の父親(病院長69歳)が、末期の肝臓がんで、激痛「ひざ […]
第45話 「安楽死」を是認するのかII
もとより「安楽死」など無いという立場で発言をしている者として、死の瞬間に安楽は有るかも無いかも知れないが、死に至る過程は「生」であって、生きがいに強烈な痛みであったり、苦しみであっても、生きるための死との苛烈な戦いが「生 […]
第46話 米国多発テロ
9月11日午前8時45分(現地時間)、丁度午後の10時前後のテレビのニュースを眺めていると、世界貿易センタービルが噴煙をあげる光景が映り始めた。手元のリモコンに触れて、映画に画面が変わったと思った。 実はあってはならな […]
第47話 軍事報復
米国のブッシュ大統領は、今回の卑劣極まりない衝撃の大惨事を、イスラム過激派による同時多発テロと確認し、国内外に表明後、直ちに世界各国の理解と協力を求め、無差別テロの撲滅へ軍事報復の対決姿勢を示した。 それは、「新しい […]
第48話 平和への祈り
米国の、テロ組織やタリバン政権に対する軍事報復は、依然として過激に続いている。 被害も続出し、兵士は勿論一般民衆にも及んでいるらしい。兵士も国民も、人間同士なのだから命の尊さには変わりは無い。 それは攻める側の米国 […]
第49話 「安楽死」を是認するのかIII
拙稿の第3話「二者択一」でも述べたが、命を左右する大事の決定は、「右か左」「良いか悪い」「認める・認めない」「是か否」の二つの選択肢からは、答えは選べない。 だから、自分以外の他の人に対し、こちらを選択するべきだとの示唆 […]
第50話 仏教の主張
『アメリカ同時多発テロについて』 「(略)テロは、自由と民主主義の敵であり、力を合わせてその再発を防止したいと願っておりますが、このたびのテロの根底にある宗教的信念が見え隠れしている報道に接し、問題の深さを感じます。私 […]